相撲 型の一覧とその種類の違いとは?

大相撲の力士は関取になると化粧廻しを締めて土俵入りを行います。

最高位である横綱は大関以下の関取とは別に一人ひとりで土俵入りを行います。

今回は横綱の土俵入りを中心に土俵入りの型や歴代横綱について調べてみました。

 

土俵入りの歴史


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古代、相撲は豊作祈願の信仰から起こったと言われています。

相撲は、村同士で相撲を取り、勝ったほうが豊作という占い、四股は地力(じりき)を高める呪術でした。

ドシンドシンと大地を踏むため、地面の力が震動して、作物がよくできるというわけです。

 

現在の大相撲の形は江戸時代にはほぼ作られました。

それまでは、上流階級の人たちのためのものでしたが、興行や勧進相撲などで一般の人たちの娯楽として広まったのです。

横綱の土俵入りは、江戸時代中期・寛政元年(1790年)11月29日、深川八幡(富岡八幡宮)で初めて行われました。

行司の総元締め・吉田司家から横綱を締めることが許された、小野川、谷風の東西両大関により行われたとされています。

横綱は全ての力士の代表として、神の依り代であることの証のしめ縄(横綱)を締め土俵入りを行います。

しめ縄というのは神域と外界とを隔てるためのもの、神社などでは御神体や御神木などを囲っています。

そのしめ縄を締める横綱は神に限りなく近い存在とされます。

そのため、横綱としての品格などと議論されるのです。

横綱の土俵入りより先に幕内土俵入りは行われていたようです。

文献として享保時代(1716年~1735年)の相撲絵画で確認することができます。

 

横綱土俵入り 露払い・太刀持ちとは?


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土俵入りの順序

横綱が3~4人いる場合、土俵入りの順序に決まりはあるのでしょうか。

土俵入りの順序は奇数日と偶数日で異なります。

奇数日は、東の正横綱→西の正横綱→東の横綱→西の横綱の順に土俵入りを行います。

偶数日は逆に、西の正横綱→東の正横綱→西の横綱→東の横綱という順になります。

露払い・太刀持ちとは?

横綱の土俵入りには、左右に力士が座っています。

左側の刀を持っている力士を「太刀持ち」、右側に控えている力士を「露払い」と言います。

土俵入りの際、先導するのは行司ですが、次に「露払い→横綱→太刀持ち」の順に入場します。

太刀持ちは、武将や大名の後ろに刀を持って控えている小姓が由来と言われています。

また、露払いは、露で汚れている草花に武将など偉い人が触れないよう、道を前に進む役割をその由来としています。

一般的に太刀持ちの方が、露払いより番付が上の力士が務めるようです。

 

では、露払いと太刀持ちの力士は誰が務めるのでしょうか。

まずは、横綱と同部屋の幕内力士が優先されます。大関は選ばれません。

次に同部屋に幕内力士がいなかった場合は、一門の部屋から選ばれます。

ただ、当日横綱と対戦する力士は選ばれません。

 

関取の土俵入り


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土俵入りの順序

次に十両、幕内の土俵入りについて説明します。

こちらも奇数日は東方力士、偶数日は西方力士が先に土俵入りします。

この東方と西方ですが、番付の東西とは関係なく、当日、東方から登場する力士が東方力士、西方から登場する力士が西方力士です。

力士を先導するのは横綱と同じく行司です。下位の力士からそれぞれ東西の花道より入場します。

その日の取り組みにより、並ぶ順序が決まります。

土俵入りが終わると、もと来た花道を退場、最後に行司が土俵を降ります。

土俵入りの作法

十両、幕内の土俵入りには作法があります。

まずは入場です。花道を一列になって土俵下まで来て、場内アナウンス(行司さんが行います)を待ちます。

次に力士は場内アナウンスにより四股名が紹介され、一礼して二字口より土俵に上がります。

場内アナウンスは続けて、出身地、所属部屋を読み上げます。

力士は土俵の外側を一周して、観客の方を向いて立ちます。

その間も柝(拍子木を打つこと)は鳴り続けます。

「宇良・柝・大阪府出身・木瀬部屋・柝・・・」という具合です。

最後の力士を呼ぶ時だけ「最後は○○、出身地、部屋」と呼びます。

三役力士は、四股名の後に番付が呼ばれます。「最後は小結○○・・・」という具合です。

最後の力士(大関が多い)が土俵に上がると全員、土俵の内側を向き、拍子を1回打ちます。

次に右手を上げ、両手で化粧回しの端を持ち上げます。

最後に両手を上げて入場した順に土俵を降りて入場した花道を引き上げます。

この作法は、相撲が陰陽道や神道の影響を受けて様式化されたと言われています。

また、土俵入りは人気のバロメーター、人気力士は四股名が呼ばれたあとに大歓声が起こります。

その場所で調子が良く、良い相撲を見せている力士にも歓声が上がります。

 

横綱土俵入りの型


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横綱の土俵入りには2つの型があります。

以前はこの2つ以外に違う型が存在していたと言われていますが、現存するのは「雲竜型」と「不知火型」のみです。

それぞれの由来や特徴を解説します。

雲龍型

名前の由来は10代目横綱・雲龍からですが、20代横綱・梅ケ谷の型を元にしていると言われています。

雲龍型の定義は、「せり上がりの際に腰を割って左手をわき腹に当て、右腕を右前方へ流す形を取り、そこからせり上がる土俵入り」です。

右手が「攻め」、左手が「守り」の攻防兼備を表しています。

また、雲龍型の土俵入りを行う横綱の締める綱の形は輪が一つです。

雲龍型を継承しているの一門は出羽海、高砂、時津風です。

不知火型

名前の由来は11代目横綱・不知火(不知火光右衛門)から、22代横綱・太刀山の型を元にしている言われています。

不知火型の定義は、「腰を割って両腕を外側前方に流す形を取り、そこからせり上がる土俵入り」です。

両手が「攻め」を表現しています。

不知火型は、大型力士が披露すると見栄えがすると言われています。

また、綱の締める綱の形は雲龍型と違い、輪は二つになっており、不知火型の綱の方が長くて重いのだそうです。

不知火型を継承している一門は、立浪(現・伊勢ケ濱)、二所ノ関です。

不知火諾右衛門について

不知火型の創始者は8代横綱の不知火諾右衛門と言われており、光右衛門はその弟子になります。

不知火諾右衛門は、熊本県宇土市出身、大坂相撲に入門して大関まで昇進しました。

その後、相撲の本場江戸相撲にも挑戦して、横綱の免許を与えられました。

江戸城内で上覧相撲が開催された時の土俵入りを描いた錦絵が残されています。

余談ですが、ゆるキャラ界の横綱「くまモン」も、相撲関連のイベントで熊本の英雄にあやかり、「不知火型」の土俵入りを披露しています。

 

雲竜型の歴代横綱一覧


出典:https://ameblo.jp/

20代 梅ヶ谷(2代) 
27  栃木山  
31  常ノ花  
32  玉錦       
33  武蔵山      
34  男女ノ川        
35  双葉山    
37  安芸ノ海         
38  照国       
39  前田山    
40  東富士     
41  千代の山  
42  鏡里  
44  栃錦  
45  若乃花(初代)
46  朝潮
47  柏戸
48  大鵬
49  栃ノ海
50  佐田の山
52  北の富士
54  輪島
55  北の湖
56  若乃花(2代)
57  三重ノ海
58  千代の富士
61  北勝海
62  大乃国
64  曙
65  貴乃花
67  武蔵丸
68  朝青龍
71  鶴竜
72  稀勢の里
 
 

数では不知火型を圧倒的に上回る雲龍型の横綱。

確かにその一覧を見ると、大横綱が多く、縁起が良いとされています。

双葉山や柏戸、大鵬から、輪島、北の湖、千代の富士。

平成になってからも曙、貴乃花、朝青龍と大横綱を輩出しています。

しかし、朝青龍以降、雲龍型の横綱は鶴竜まで現れませんでした。

稀勢の里は、雲龍型の土俵入りを披露していますが、所属する田子ノ浦部屋は二所ノ関一門で不知火型を継承しています。

稀勢の里の先代の師匠、元横綱・隆の里は不知火型、その師匠の初代若乃花は雲龍型です。

悩んだ結果、雲龍型を選びました。

けがで自分の相撲を取る事ができずにいる稀勢の里ですが、過去の大横綱に続くことはできるのでしょうか。

 

不知火型の歴代横綱一覧


出典:http://sumou-toshu.com/

22代 太刀山
36  羽黒山
43  吉葉山
51  玉の海
53  琴櫻
59  隆の里
60  双羽黒
63  旭富士
66  若乃花(3代目)
69  白鵬
70  日馬富士

 

雲龍型から比べ、数の少ない不知火型。

22代太刀山と36代羽黒山こそ長期間在位した強い横綱でしたが、その後は横綱在位の短い力士が相次ぎました。

玉の海が在位中に病に倒れ、琴櫻(在位8場所)、隆の里(在位15場所)、双羽黒(在位8場所)、旭富士(在位9場所)、若乃花(在位11場所)と短命の横綱が続いてしまったのです。

結局、「不知火型の横綱は短命」というありがたくないジンクスがついてしまいました。

 

そのジンクスを打ち破ってくれたのが白鵬です。

2007年に横綱へ昇進し、10年以上横綱として在位、優勝40回の記録を達成した今までにない大横綱となりました。

また、日馬富士も不知火型を選び、同時期に2人の不知火型が存在したのは史上初のことでした。

 

まとめ

相撲は古来から神前で行われていました。

神社や寺院で行われる「奉納土俵入り」を見ると相撲はスポーツであり、神事なのだと改めてと感じます。

横綱の土俵入りは大相撲の華とも言えるものです。

稀勢の里が横綱へ昇進し4人横綱となったのもつかの間、日馬富士が不祥事で引退を余儀なくされ、鶴竜、稀勢の里も休場が多くなっています。

1人で綱を張っていた白鵬にもけが、立ち合いへのクレームなど将来に暗雲が立ち込めてます。

雲龍と不知火をどちらも見ることができる時期は今後続いていくのか、ファンとしては心配ですが、それぞれの横綱が乗り越えてで土俵に上がる姿を見たいと思っています。

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