相撲 稀勢の里の怪我は?結果休場も

2017年初場所で初優勝を飾り、第72代横綱となった稀勢の里。

横綱としての最初の1年は怪我との戦いとなりました。

今回は、稀勢の里のプロフィールや、横綱に昇進するまで、昇進後の怪我の状況、今後どうなるのかなどを解説したいと思います。

 

稀勢の里とはどんな力士?


出典:http://www.news-postseven.com/

プロフィール

本名:萩原 寛(はぎわら ゆたか)

生年月日:1986年7月3日8(31歳)

出身:茨城県龍ヶ崎市(出生は兵庫県芦屋市)

身長:188センチ

体重:177キロ

所属部屋:鳴戸→田子ノ浦部屋

幼少期

兵庫県芦屋市で生まれた萩原少年は、2歳の時に茨城県龍ヶ崎市へ転入、中学2年の時に一家は牛久市へ引っ越しますが、転校はせずのそのまま龍ヶ崎市の中学校へ通ったそうです

相撲は小学2年生の頃からはじめ、わんぱく相撲で茨城代表となり両国国技館の土俵に立ったこともあるとのこと。

小学4年生から中学卒業まで野球部でピッチャーとして活躍、名門高校からのスカウトもあったようです。

中学2年生の時に角界入りを考え、周囲の反対を押し切り、中学卒業後に鳴戸部屋へ入門しています。

初土俵から新入幕~大関になるまで

平成14年(2002年)の3月場所で初土俵、新入幕を果たすまで四股名は本名の萩原で土俵へ上がっています。

平成16年(2004年)の初場所で幕下優勝、自身にとって初の優勝となりました。

同年5月場所で新十両へ昇進、11月場所で新入幕を果たし、四股名を稀勢の里と改名します。

貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3ヶ月)というスピード出世だった稀勢の里ですが、大関昇進までは長い時間を要することになります。

平成24年(2012年)の初場所で大関へ昇進、新入幕から所要42場所、大関昇進は史上5番目のスロー記録となりました。

また、小結在位12場所は、魁皇と武双山の11場所を抜き史上最多となっています。

 

横綱としての稀勢の里


出典:https://sports.yahoo.co.jp/

白鵬という壁

大関になるまで時間がかかった稀勢の里、横綱昇進も簡単ではありませんでした。

れは、モンゴル人の3横綱、特に白鵬という高い壁が立ちはだかっていたといっても過言ではありません。

稀勢の里と白鵬の対戦成績は16勝43敗と大きく負け越していますが、現役力士の中では稀勢の里が一番白鵬に勝っているのです。

日本出身横綱誕生の期待へのプレッシャー、そして白鵬という絶対的な横綱が稀勢の里の出世を遅くしたのではないかと思います。

横綱昇進まで

綱取り挑戦は「大関で2場所連続優勝」することが条件と長い間言われていました。

しかし、前に上げた白鵬の存在、また、大関以上の力が均衡しており、この条件をクリアできる力士が誕生しづらくなっていました。

第71代横綱鶴竜が横綱に昇進した時は、2場所連続優勝ではなく、「それに準ずる成績」が適用されたのです。

実際、鶴竜は綱取りの最初の場所を14勝で優勝決定戦へ進出し、次の場所は14勝で初優勝を果たしました。

稀勢の里の綱取り挑戦回数は実に7回に及びます。

その7回目の挑戦となった平成28年(2016年)11月場所は、12勝3敗で終え、史上初の優勝のない年間最多勝を受賞しました。

3横綱がいての年間最多勝なのだから綱の力はあるという評価もありましたが、やはり優勝しなければという意見が多数でした。

一応綱取りは継続した状態で迎えた平成29年(2017年)初場所は白鵬との優勝争いを演じ、14勝1敗で幕内優勝を飾りました。

場所終了後、横綱審議委員会において全会一致で横綱に推挙されることになり、番付編成会議並びに臨時理事会にて横綱昇進が決定しました。

大関在位31場所での横綱昇進は史上2番のスロー昇進、それでも、19年ぶりの日本出身横綱誕生に日本は湧き上がったのです。

 

稀勢の里の結婚 綱取りのあとに嫁取りは?


出典:http://happyrico.com/

横綱に昇進した稀勢の里、独身の稀勢の里には次は嫁取りか?などと報道されました。

現在、稀勢の里には結婚の予定はあるのでしょうか。

噂では、大関昇進時にお付き合いをしていた女性がいたようです。

ただ、なかなか横綱に昇進できず、恋愛をしている場合ではないと考えたのか、3年前に別れたとのことです。

横綱昇進時にも稀勢の里のお父さんが「息子はまだ結婚しませんよ。息子は不器用な男なんです。奥さんに気を遣いながら相撲を取れるような器用な男ではない。ですから横綱として納得できる成績を収めることができたら本人も結婚を考えるでしょう」とコメントしています。

また、もし、息子の結婚相手には、自己主張のしない、夫から三歩下がって歩くような昔ながらの日本人女性がいいのではと話しています。

現在、相撲に集中するため、結婚には乗り気がない稀勢の里。

さらに父の厳しいチェックをクリアする相手を見つけるには時間がかかりそうです。

 

稀勢の里の怪我


出典:http://fujipee.com/sports/

日本出身横綱誕生に好意的な意見が多い中、優勝1回で横綱に昇進してしまって大丈夫?という声もあったことは確かです。

しかし、翌場所ではそんな心配を吹き飛ばすような相撲を見せてくれたのです。

横綱昇進後の取り組みとその結果

●2017年3月場所:横綱として最初の場所で稀勢の里は初日から12連勝を上げ、優勝争いに絡みます。

しかし、13日目の日馬富士戦で寄り倒しで土俵下に落ち、左肩を強打、以降の出場を危ぶまれました。

稀勢の里は強行出場、左肩に大きなテーピングを貼って土俵に上がりました。

鶴竜には力なく寄り切られてしまい、千秋楽では星1つで追いかける照ノ富士との直接対決です。

優勝するにはここを勝ち、優勝決定戦へ進出しなければいけません。

誰もが、稀勢の里の優勝はないと思ったに違いありません。

ところが、本割を勝利した稀勢の里は優勝決定戦も勝利、見事横綱として初優勝を飾ったのです。

●2017年5月場所:左肩のけがが完治しないまま強行出場するも、11日目から途中休場、6勝5敗4休で終えることになりました。

●2017年7月場所:2勝4敗9休、6日目から途中休場。

●2017年9月場所:休場。

●2017年11月場所:4勝6敗5休、10日目から途中休場。

●2018年1月場所:1勝5敗9休、6日目から途中休場。

怪我で休場 いったいどこを痛めているのか?

2017年は常に怪我がついてまわった稀勢の里。

どこをどう痛めているのかを調べてみました。

2017年3月場所で13日目の日馬富士戦で左肩を強打、その後強行出場して優勝したまでは良かったのですが、それが後々まで尾を引くことになりました。

翌5月場所は強行出場しますが、左上腕付近の負傷が完治せず途中休場となりました。

7月場所も出場はするものの、今度は左足関節靱帯損傷で休場を余儀なくされます。

場所の夏巡業は途中から参加していましたが、9月場所は「左の上腕筋と大胸筋の損傷で約1カ月の安静を要する」との診断書を提出して初日から休場しました。

11月場所は「腰部挫傷・左足前距腓靱帯損傷で約1か月の安静加療を要す」との診断書を提出して、10日目から途中休場となりました。

2018年1月場所は「左大胸筋損傷の疑い・左前胸部打撲で約3週間の安静を要す」との診断で6日目から休場となりました。

やはり、日馬富士戦で痛めた怪我が1年経っても完治していないことが窺えます。

鳴戸親方の教え

横綱審議会では再三、稀勢の里に対して休場してしっかりと治すようにと提言しています。

それでもできるだけ出場しようとするのは、稀勢の里の入門時の師匠である故13代目・鳴戸親方(横綱隆の里)の教えがあるからと言われています。

鳴戸親方は「土俵の鬼」と呼ばれ、稽古もとても厳しかったと言われています。

鳴戸親方の「どこか痛くても土俵に上がるのが相撲道」という教えを愚直に守り、強行出場していることが稀勢の里の相撲寿命を短くしてしまっているのではと危惧されています。

さらに横綱としての責任を果たすという気持ちもあるとは思いますが、その姿には悲壮感さえ漂っているように感じます。

 

3月場所以降の結果次第で進退を問われるのか


出典:http://www.asahi.com/

自らが進退を明言

稀勢の里は途中出場した初場所後の1月24日、稽古を再開し、次に不本意な成績に終われば引退する覚悟を自ら示したようです。

次に出場する場所を3月場所とは限定しなかったものの、横綱としての責任を果たすことが出来なければ辞めるという強い意志を持って臨むという前向きな気持ちとして捉えてあげたいです。

何度も強行出場しては途中休場を繰り返す稀勢の里に対し、学習能力がないと酷評する人もおり、状況判断の甘さが指摘されています。

稀勢の里自身も引退よりも、「このままでは終われない」という気持ちのほうが強いのではないかと思います。

もし、引退したら・・・

しかし、残念ながら引退することになってしまったら・・・。

まず、稀勢の里はすでに年寄・荒磯を取得しています。

引退後すぐに部屋を開くことはできませんが、数年部屋付きの親方として修行し部屋を開業するのではないでしょうか。

先代の師匠である鳴戸親方は生前、自分の後を継ぐのは若の里(現西岩親方)だと話していたそうです。

しかし、親方は2011年に急逝、当時、若の里は現役を続行することを選んだため、すでに引退していた元隆の鶴の西岩親方が部屋を継承することになりました。

ただ、鳴戸親方の遺族との話し合いが付かず、鳴戸の名跡を名乗ることはできなくなりました。

結局、隆の鶴は田子ノ浦に名跡変更することになったのです。

千葉県松戸市にあった鳴戸部屋の施設は、現在、鳴戸親方の未亡人の所有のため、田子ノ浦部屋は東京・小岩への転居を余儀なくされます。

現在、鳴戸部屋の建物は使っていませんが、もし、稀勢の里が引退し部屋を開業するとなれば、松戸に戻ってほしいと思っているのではないかと言われています。

引退後の道筋は出来ているものの、ファンは稀勢の里の親方としての姿が見たいわけではありません。

横綱として土俵に上がってほしいと思っているのです。

まとめ

横綱に昇進するまで、優勝への期待で大きなプレッシャーを受け、そのプレッシャーに打ちのめされ、何度も昇進を逃してきた稀勢の里。

横綱になったらなったで、怪我に悩まされ、1年で進退を問われる立場となってしまいました。

日馬富士が角界を去り、目の前に立ちはだかっていた白鵬が立ち合い問題で今までのような強い相撲を取ることができなくなる可能性もあります。

稀勢の里にとって追い風が吹いていることは間違いないのです。

ファンは納得がいく相撲が取れるまでしっかり休んでほしいと願っています。

怪我を克服し、精神的にも強くなった稀勢の里をもう一度見たいのです。

次に出てくるときには、しっかりと怪我を治して、万全の体勢で土俵に上がってほしいと思っています。

師匠の教えてである「限界まで相撲を取る」相撲道を突き進んでほしいところです。

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