相撲の東西の分け方は? 東西の意味とは?

相撲の番付は東西に分けられていますが、どんな意味があるのでしょうか?

今回は、相撲と東西の関係についていろいろと調べてみました。

 

東西の分け方


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現在、相撲の番付の東西は前の場所の成績順によって決められていますが、以前ではそうではありませんでした。

東西に分けられたのはいつから?

東西制になったのは江戸時代の初期と言われています。

相撲の最古の番付は宝暦3年(1753年)のものです。

当時は出身地で東西を分けていました。

その分け方は、近江国(滋賀県)以東を東方力士、以西を西方力士としていました。

現在のような個人戦ではなく、東軍VS西軍という形の団体戦で行われていたようです。

東西に分ける意味

昭和の初期までは上に書いたように「東西制」となっていましたが、昭和7年から14年までは、「系統別総当り」になりました。

つまり、一門の力士は対戦していなかったのです。

その後、「東西制」が復活するも、昭和22年に再度「系統別総当り」となり、昭和40年1月場所から現在の「部屋別総当り」になりました。

この頃、相撲人気は低迷していたため、同じ一門の横綱の対戦を組んで人気回復を図ったと言われています。

これは、NHK解説者の玉の海梅吉氏が当時の理事長・時津風(元双葉山)へ進言、協会内の反対論に「いまや人情論におぼれている時ではない」と説き伏せ、実現したのです。

現在、番付を東西に分ける理由は、東西制の名残りで意味はないと言ってもいいでしょう。

 

東西の決め方


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番付は東西に分かれていますが、東と西では同じ順位なのでしょうか?

その決め方はどういう方法なのでしょうか?

東西の順位と決め方

同じ番付でも(たとえば、前頭筆頭など)順位が同じというわけではありません。

東のほうは半枚分上になります。

たとえば、東前頭7枚目の地位で7勝8敗となった力士が次の場所では西前頭7枚目になったりします。

つまり、東西は同等ではなく東のほうが格上ということです。

現在、番付の東西は、前場所の番付と成績を考慮して、上から東横綱→西横綱→東大関→西大関→東関脇→西関脇・・・東前頭筆頭→西前頭筆頭・・・というふうに並べています。

東方同士、西方同士の対戦は?

東軍VS西軍の対抗試合のような形だった頃は、東方同士、西方同士の対戦はありませんでした。

番付も東西別々に作成し、それぞれ前の場所の成績で決めていたのです。

ただ、力のバランスが大きく崩れた時には、東西で移動する力士がいたようです。

今は対抗戦ではなく「部屋別総当り」のため、東方力士同士、西方力士同士の取り組みになることがあります。

その場合は番付の下位の力士が反対側に回っています。

つまり、東の横綱と東の小結が対戦する場合、東の小結が西方から土俵に上がるのです。

また、優勝決定戦でも、東方同士、西方同士の対戦になった場合、番付が下位の力士が反対側の支度部屋へ移動しています。

東西に分ける前は左右?

相撲と東西の関係については平安時代まで遡らなければいけません。

平安時代に行われていた1年を占う「節会相撲」(せちえすもう)では、「天子、北を背にして南面す」の故事から正面を決めて北とし、東を左、右を西としていました。

この故事の意味は、天から統治者として認められた「天子」「皇帝」「天帝」が、北を背にして南を向くという意味です。

そのため、天皇から見て左が優位になり、左大臣と右大臣では左大臣が格上とされていました。

左が右より優位という考え方は日本神話からきています。

左が「光」、右が「陰」おいう性質で、世界的に見ても珍しいことだそうです。

戦国時代に東西が明確化され、左が東、右が西となったのです。

土俵入りの順序は東西で変わる

十両以上の力士は、取り組み前に土俵入りを行います。

それぞれ、東と西の花道から登場しますが、これは番付とは異なります。

その日、東方から登場する力士が東方力士、西方から登場する力士が西方力士です。

また、土俵入りの順番は奇数日が東方力士、偶数日が西方力士からとなっています。

 

東西合併


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江戸時代には全国各地で相撲興行が行われていました。

江戸相撲を筆頭に、大坂、京都、名古屋、仙台などで独自の番付を組んで興行していました。

それぞれ独立した組織として行われていましたが、江戸後期には江戸相撲が圧倒的な強さを誇り、各地の相撲は消滅していきました。

大坂相撲は江戸に並立し人気があったのですが、最終的には東京相撲に吸収合併されることになります。

昭和2年(1927年)、東西両協会が正式に合併し、「大日本相撲協会」の名称となり、今に至っています。

 

相撲の東西南北


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相撲が南北ではなく、東西に分かれているのは、天覧相撲に関係しています。

先にも書きましたが、天皇は常に北に背を向け、南を向いて座っておられます。

そのため、天皇にとって左側から登場する力士が東で、右側は西となり、それが現在まで続いているのです。

東西南北の色

土俵の上の吊り屋根から下がる房の色が青、赤、白、黒と違うのはどうしてだろうと思ったことはありませんか?

実は色は方角を意味しています。

古代中国では陰陽五行説で方角を5色で表わしていました。

東は蒼龍の青(そうりゅうのあお)、

西は白虎の白(びゃっこのしろ)、

中央は黄龍の黄(こうりゅうのこう)、

南は朱雀の赤(すじゃくのあか)、

北は玄武の黒(げんぶのくろ)、

中央を除いた東西南北を四神といい、中国の信仰に由来すると言われています。

蒼龍、白虎、朱雀、玄武は方位を守る神獣、つまり、房の色は、蒼龍の青(東)、朱雀の赤(南)、白虎の白(西)、玄武の黒(北)となっているのです。

 

東西会とは


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春場所で東西会という団体が懸賞を出しているのを見たことがあると思います。

東西会とはどんな団体なのでしょうか?

 

東西会とは、春場所(大阪場所)の有力後援者である維持員で作る親睦団体です。

維持員というのは、相撲協会に維持費を寄付した個人や法人を言います。

東京、名古屋、福岡では「溜会」、大阪では「東西会」と呼ばれています。

テレビ中継で、土俵に1番近い溜まり席で茶色いちゃんちゃんこを着ている人を見かけます。

この人たちが東西会の会員で、茶色のちゃんちゃんこは東西会の制服のようなものです。

大阪場所の親睦団体なので、東京など、ほかの場所では見ることはありません。

 

東西会の会員が溜まり席で観戦するにはルールがあります。

まず、茶色のちゃんちゃんこを着て、東西いずれかに座ります。

観戦時には絶対拍手をしてはいけません。

これは、特定の力士を贔屓にしてはいけないからです。

東西会の会員は15日間通して溜まり席を入手しており、金額は150万円だそうです。

簡単に貸し借りしてはいけないことになっていますが、会員本人が立ち合えない場合は、会員本人から指名された代理人だけが立ち合うことができます。

相撲観戦には、場所ごとに発行される「維持員券」の提示が必要になり、それを販売・転売することは禁止されています。

違反した場合は維持員券の利用ができなくなり、東西会も退会処分となります。

相撲観戦のほか、東西会は千秋楽に幕下以下の優勝力士を表彰したり、力士の断髪式に立ち合うなど、重要な役割も果たしています。

 

まとめ

日本では、相撲の番付をまねて、昔から物事に対して番付を作っていました。

もちろん、東と西に分けてです。

また、何かしらの対抗戦でも、東軍VS西軍とし、南と北とはしませんでした。

東西対抗があっても南北対抗はなかったのです。

その理由として、個人的には日本を2つに分けて戦った「関が原の合戦」の影響かと思っていました。

しかし、調べてみると相撲の歴史が絡んでいたのですね。

その名残だとしても、神事である相撲にとって方角は重要な役割を果たしているような気がします。

吊り屋根の房の色など、方角に注目して相撲観戦するのも違った楽しみ方になるかもしれませんね。

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